この数年アートの議論の一つには「アートと有用性」がある。フェンバーガーハウスはこの議論について少し違う視点を提示している。ハウスでは人間が数千年前から考え、実践してきた「意識の変性」について言及している。特にこれが宗教、神秘学や心理学の観点から考えられてきたことは興味深い。このような「変性意識状態」は道路や水ポンプのような実用性はないが、もう一つ別の次元においての有用性があると言えるでしょう。意識を深く変性する体験をした人から考えれば、この体験は全てを変えるものでもあるかもしれない。その人がこの世界でどう生き、どう行動するかまでも変えるものかもしれない。「変性意識状態」は直接社会や政治的な有用性はないかもしれないが、その体験の「そこ」からは新たな倫理観や政治性が生まれてくる可能性を生み出す。ハウスで言及することはこのような関係がどうやって現れるのか?伝統的には変性意識体験は個人の領域で語られてきたが、これがどのようにもっと開かれた集団や宇宙と関係を取れるのか?このような体験が深い個人体験と同時に個人を超えるものとして考えられるのか?多くの文献はやはり個人的体験としてこのテーマを語ってきたが、ハウスでは「コレクティブ」についても重要な視点であると思っている。
このトピックは偉大で、ハウスとしては謙虚な態度で関わっていく。ある意味では失敗しかないかもしれない。人間の言葉や理解の果ての向こうに何となく指で刺す、あるいはジェスチャーするしかないからだ。しかし、アートの多様な表現を通してそれを共有できるかもしれない。障子の向こうで光る光をうっすら確認して、研究しているかもしれない。
フェンバーガーハウスでは「永遠の時間」は様々な物質や形として蒸留されることに関心がある。ここの形は神話や個人の芸術実験として現れる。これは一つ大きな矛盾である:芸術では一瞬「永遠の時間」から形式が生まれ、そしてその芸術の形は「道具」のように使うことができる。まるで「地図」のように、我々を誘導したり、助けてくれるのだ。ハウスではこの芸術の「道具」的な要素にフォーカスを当てる。ハウスに来る訪問者は様々な試みを通して「道具」を利用できる:居心地がいい椅子や空間、低く壁に書かれた作品、スパイラル的な動線、ディープリスニング、集中を高める運動、動きと儀式、ライトショー、そして食も中心的な滞在型の訪問。
訪問者には特別な体験するためのガイドはない。好奇心で実験的に進むような雰囲気を作るのがハウスのフォーカスである。これには音楽が重要な役割を果たす。訪問時間中には瞑想を促すレコードが流れる。色々な鑑賞の形や方法を可能にすることが大事だ。これを実践するためにはこれらの要素を大事にしている:1)アート作品、展示デザインと時間のプログラミング、2)空間と雰囲気、安全と居心地良さ、3)訪問者の好奇心や実験精神が生まれること。これらはティモシー・リアリー、ラルフ・メツナー、リチャード・アルパートが1964に書いた『チベット死者の書サイケデリック・バージョン』で言及された「セットとセッティング」(体験する人の心理状態と体験が行われる場所の状態)と似ている。私はフェンバーガーハウスを大きな「変革を起こす機械」として考える。芸術を通して宇宙意識の可能性を誘導する空間。もしかして、そう遠くない未来に、訪問者達やサポーターと一緒にフェンバーガーハウスは強力な振動のモードに入り、新たな次元へ向かっていくかもしれない。オブジェの資料館だけではなく、ハウスは不思議な生き物的なマシーンのようなものかもしれない、英国の作家オルダス・ハクスリーがいう「マインドアットラージ」(宇宙に開かれた心、意識)で「発行」されている芸術をケアしながら。
ロジャー・マクドナルド 2019年